むかしがたり

真夜中、山の中に置いて行かれた子供を呼ぶ母の声。その正体は…「夜泣き石」

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夜泣き石 福島県会津若松市

  • ふしぎようかいかんこうスポット

一般向け かんじすくなめ こどもむけ

むかしむかし、ある侍が無実の罪で腹を切らされる事件がありました。侍には妻も子もいました。

この時代、侍が腹を切るときは家族にも責任が及ぶのが普通でした。報せを聞いたその侍の妻は今にも追手が捕らえに来ると思って、ふたりの子供を連れてすぐに逃げ出しました。

夜の闇に紛れて走る母親と幼い男の子。母の胸にはしっかりと赤ん坊が抱かれていました。走って走って走り続けた母子でしたが、山を越えて原っぱに着いた辺りでさすがにもう疲れ果ててしまいます。

男の子は、
「もう歩けねえ」
と言って、へばってしまいました。しかもちょうど手ごろな大きさの岩があったので、その上に寝転んでぐうぐうと寝てしまいます。

とはいえ寝ている場合ではありません。いつ追手に追いつかれるか判らないのです。母は男の子を起こそうとしましたが、少し考えたあと、このまま寝かせて置いて行くことにしました。
自分と一緒にいるところを捕まって殺されるよりは、子ども一人の方が誰も怪しまないだろう。親切な誰かに拾われて無事に育ってくれるかもしれない。

そう信じた母は男の子のそばにお金をそっと置き、赤ん坊だけを連れて走り去って行きました。

しばらく経って、男の子が目を覚ましました。周囲は真っ暗の闇。当然、誰もいません。男の子は怖くなってとうとう泣き始めてしまいました。

夜空

するとどうでしょう。
「おいで。おいで」
向こうから母の声がするではありませんか。声に気付いた男の子はようやく泣きやんで、声のする方へ歩こうとしました。

ところが歩けないのです。どれだけがんばっても、さっきまで寝ころんでいた岩に足がへばりついてしまって、全然動かないのです。
「おいで。おいで」
母の声は続きましたが、全く動けないので結局疲れて再び寝入ってしまいました。

そのまま朝になりました。
男の子はたくさんの人の声で目が覚めました。
「お前は腹を切った侍の子でねえか」
事情がよく判らない男の子でしたが、名前を尋ねられたので素直に答えると、その人たちは、
「やはりそうか」
と頷きました。
「実はな、お前の父さんは無実だったんじゃ。奥さんに報せねばならねえのだが、どこへ行ったんじゃ?」

男の子は昨晩声がした方を指で差しました。数人がそちらへ向かうと、奇妙な姿の怪物がサッと現れてそのまま逃げて行きました。
昨夜の母の声は、男の子を食べようと怪物が発した声真似だったのです。

しかし男の子が寝ていた岩が男の子を哀れに思って、足に吸いついて離さなかったために、命を救われたのでした。
男の子はその後無事に育ち、立派な侍になったそうな。

それ以降この岩は、子供の夜泣きで困ったらお参りすると泣きやむ「夜泣き石」として、崇められるようになりました。

むかしむかし、あるさむらいが むじつのつみで はらを切らされる じけんがありました。さむらいには つまも子もいました。

このじだい、さむらいが はらを切るときは かぞくにも せきにんが およぶのが ふつうでした。しらせを聞いた そのさむらいのつまは 今にも「おって」が とらえに来ると思って、ふたりの子どもを つれてすぐに にげ出しました。

よるのやみに まぎれて走る 母おやと おさない男の子。母のむねには しっかりと 赤んぼうが だかれていました。走って走って 走りつづけた おや子でしたが、山をこえて 原っぱについたあたりで さすがにもう つかれはててしまいます。

男の子は、
「もう あるけねえ」
と言って、へばってしまいました。しかもちょうど手ごろな 大きさのいわが あったので、その上に ねころんで ぐうぐうと ねてしまいます。

とはいえ ねているばあい ではありません。いつ「おって」に おいつかれるか わからないのです。母は男の子を おこそうとしましたが、少しかんがえたあと、このままねかせて おいて行くことにしました。
自分といっしょに いるところを つかまって ころされるよりは、子どもひとりのほうが だれも あやしまないだろう。しんせつな だれかにひろわれて ぶじに そだってくれるかもしれない。

そうしんじた母は 男の子のそばに お金をそっとおき、赤んぼうだけを つれて走りさって 行きました。

しばらくたって、男の子が 目をさましました。しゅういは まっくらのやみ。とうぜん、だれもいません。男の子は こわくなってとうとう なきはじめてしまいました。

夜空

するとどうでしょう。
「おいで。おいで」
向こうから 母のこえが するではありませんか。こえに気づいた男の子は ようやくなきやんで、こえのするほうへ あるこうとしました。

ところが あるけないのです。どれだけがんばっても、さっきまで ねころんでいたいわに 足がへばりついてしまって、ぜんぜん うごかないのです。
「おいで。おいで」
母のこえは つづきましたが、全くうごけないので けっきょくつかれて ふたたび ね入ってしまいました。

そのまま あさになりました。
男の子は たくさんの人のこえで 目がさめました。
「お前は はらを切った さむらいの子でねえか」
じじょうが よくわからない 男の子でしたが、名前をたずねられたので すなおにこたえると、その人たちは、
「やはり そうか」
と うなずきました。
「じつはな、おまえの 父さんは むじつだったんじゃ。おくさんに しらせねば ならねえのだが、どこへ行ったんじゃ?」

男の子は さくばん こえがしたほうを ゆびで さしました。すう人が そちらへむかうと、きみょうなすがたの かいぶつが サッとあらわれて そのままにげて行きました。
さくやの母のこえは、男の子を たべようと かいぶつが はっした こえまねだったのです。

しかし男の子が ねていたいわが 男の子を あわれに思って、足にすいついて はなさなかったために、いのちを すくわれたのでした。
男の子は そのご ぶじにそだち、りっぱな さむらいになったそうな。

それいこう このいわは、子どものよなきで こまったら おまいりすると なきやむ「よなき石」として、あがめられるように なりました。

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 夜泣き石

夜泣き石

戊辰戦争の激戦地で西軍・東軍多数の戦死者を出した「戸ノ口原古戦場」そばにあります


よみ よなきいし
住所 福島県会津若松市河東町八田大野原
電話 0242-39-1251(会津若松市観光課)
時間 24時間
定休 なし
料金 無料
その他  

画像引用:会津・磐梯 お宝どんどん様(http://access11.seesaa.net/article/107130741.html)