むかしがたり

東日本大震災で再評価された民話「みちびき地蔵」

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みちびき地蔵 宮城県気仙沼市

  • かなしい

一般向け かんじすくなめ こどもむけ

むかしむかし、気仙沼(けせんぬま)の大島(おおしま)の話。
端午の節句を翌日に控えた日のことです。大島に住む浜吉(はまきち)という男の子とその母が、隣の村まで田植えの手伝いに出かけました。

夕方、手伝いを終えた母子は、家に向かっててくてくと歩き、地蔵さんの前までやって来ました。この地蔵さんは、村の人から「みちびき地蔵」と呼ばれていました。
翌日亡くなる人の霊が地蔵さんに参りに来て、霊をあの世に導いてくれる…
だから「みちびき地蔵」と言うのだそうです。

母子はお地蔵さんにお参りしようと、手を合わせました。すると何だか不思議な気持ちになるのです。ここには浜吉と母しかいないはずなのに、他にも人がいるような気が強くするのでした。

気のせいではありません。ふと見上げてみると、そこには村のお婆さんの姿がありました。お婆さんだけではありません。若い母親と赤ん坊の姿も、たくましい男もいました。それどころか牛や馬もいたのです。

母は「みちびき地蔵」の言い伝えを思い出しました。
「ああ、みんな明日亡くなるんだべか。それにしてもどうしてこんなにたくさんの人が…?」
だんだん恐ろしくなってきた母は、浜吉の手を引いて、一目散に駆け出しました。

息を切らせて家に辿り着くなり、母は父にさっき見たことをまくし立てました。しかし父は、
「そんなバカな。狐にでも化かされたんじゃろう」
と笑うだけで、全く信じてくれません。
「狐のせいだったのかのう…」
母も何が何だかよく判らないまま、夜は更けていきました。

夜が明けて端午の節句になりました。
その日は潮が普段よりかなり遠くまで引いていたので、村の人がたくさん浜辺に出て、打ち上げられた海草を拾っていました。

海

みんなが浜に集まっていると聞いた浜吉も、やはり浜に行きたいと母にせがみます。母はにこりと頷いて、浜吉の手を引いて浜辺に向かいました。
「生まれてこのかた、こんなに潮が引いたのは見たことがない」
村の年寄りたちがこんな話をしている横で、母と浜吉もせっせと海草を拾いました。

しばらくして、突然叫び声がしました。
「津波じゃ!!」
顔を上げてみれば、沖の遠くの遠くのまた遠くが、白く不気味に盛り上がっていました。その大きな大きな盛り上がった波は、どんどん浜へ近づいて来ていました。

「津波じゃ!飲みこまれるぞ!山へ逃げろ!!」
みな大急ぎで駆け出しました。
でもあまりに突然のことだったので、おろおろするばかりで足がすくんで動けなくなった者もいました。
母は浜吉をおぶって、無我夢中で走りました。
そして二人がなんとか裏の山を登りきったところで、津波が浜と村を全部飲みこんでしまったのです。

浜吉母子たちは何とか助かりましたが、助からず津波と一緒に消えてしまった人も大勢いました。人だけではありません。馬や牛たちも津波にさらわれてしまいました。

「昨日見たのは狐に化かされたんじゃない。言い伝えは本当だったんじゃ…
この津波で亡くなる人やら牛やらが、昨日地蔵さんに参ってたんじゃ…」
母は悟りました。

この津波では、村人61人と牛馬6頭が死んでしまったのだそうです。それ以来、村人たちは「みちびき地蔵」を一層大切にしたのだそうな。

むかしむかし、気仙沼(けせんぬま)の 大島(おおしま)の話。
たんごのせっくを よくじつにひかえた 日のことです。大島に住む はまきちという男の子と その母が、となりの村まで 田うえの手つだいに 出かけました。

夕方、手つだいをおえた おやこは、家にむかって てくてくとあるき、じぞうさんのまえまで やって来ました。このじぞうさんは、村の人から「みちびきじぞう」と よばれていました。
よく日 なくなる人の「れい」が じぞうさんに まいりに来て、「れい」を あのよに みちびいてくれる…
だから「みちびきじぞう」と 言うのだそうです。

おやこは おじぞうさんに おまいりしようと、手を合わせました。すると何だか ふしぎな 気もちになるのです。ここには はまきちと母しか いないはずなのに、ほかにも人がいるような 気がつよくするのでした。

気のせいでは ありません。ふと見上げてみると、そこには村の おばあさんの すがたがありました。おばあさんだけでは ありません。わかい母おやと 赤んぼうの すがたも、たくましい男も いました。それどころか ウシやウマもいたのです。

母は「みちびきじぞう」の 言いつたえを思い出しました。
「ああ、みんな明日 なくなるんだべか。それにしても どうしてこんなに たくさんの人が…?」
だんだん おそろしくなってきた母は、はまきちの 手をひいて、いちもくさんに かけ出しました。

いきをきらせて 家にたどりつくなり、母は 父に さっき見たことを まくし立てました。しかし父は、
「そんなバカな。キツネにでも ばかされたんじゃろう」
とわらうだけで、まったくしんじてくれません。
「キツネのせい だったのかのう…」
母も何が何だか よくわからないまま、よるは ふけていきました。

よが明けて たんごのせっくに なりました。
その日は 「しお」がふだんより かなりとおくまで ひいていたので、村の人が たくさんはまべに出て、うち上げられた かいそうを ひろっていました。

海

みんながはまに あつまっていると聞いた はまきちも、やはりはまに 行きたいと 母にせがみます。母は にこりとうなずいて、はまきちの 手をひいて はまべにむかいました。
「生まれてこのかた、こんなに『しお』が ひいたのは 見たことがない」
村の年よりたちが こんな話を しているよこで、母とはまきちも せっせとかいそうを ひろいました。

しばらくして、とつぜん さけびごえが しました。
「つなみじゃ!!」
かおを上げてみれば、おきのとおくの とおくの またとおくが、白くぶきみに もり上がっていました。その大きな大きなもり上がった なみは、どんどんはまへ ちかづいて 来ていました。

「つなみじゃ!のみこまれるぞ!山へにげろ!!」
みな大いそぎで かけ出しました。
でもあまりに とつぜんのことだったので、おろおろするばかりで 足がすくんで うごけなくなったものも いました。
母ははまきちを おぶって、むがむちゅうで 走りました。
そしてふたりが なんとかうらの山を のぼりきったところで、つなみが はまと村を ぜんぶ のみこんでしまったのです。

はまきちおやこたちは 何とかたすかりましたが、たすからず つなみといっしょに きえてしまった人も おおぜいいました。人だけでは ありません。ウマやウシたちも つなみに さらわれてしまいました。

「きのう見たのは キツネに ばかされたんじゃない。言いつたえは ほんとうだったんじゃ…
このつなみで なくなる人やら ウシやらが、きのうじぞうさんに まいってたんじゃ…」
母はさとりました。

このつなみでは、村人61人と ぎゅうば6とうが しんでしまったのだそうです。それいらい、村人たちは「みちびきじぞう」を いっそうたいせつに したのだそうな。

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 みちびき地蔵

みちびき地蔵

東日本大震災でも被災して流出しましたが、再建時に流出した地蔵も発見され、新旧の地蔵が一緒に立ち並んでいます


よみ みちびきじぞう
住所 宮城県気仙沼市大島
電話 0226-28-3000(気仙沼大島観光協会)
時間 24時間
定休 なし
料金 無料
その他  

画像引用:気仙沼大島観光協会様(http://www.oshima-kanko.jp/see/michibiki.html)