むかしがたり

旅のお礼に来た人たち。しかし探し人は見つからず…「伊勢参りの松」

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伊勢参りの松 秋田県秋田市

  • ふしぎ

一般向け かんじすくなめ こどもむけ

むかしむかし、ある年の秋のこと。秋田を流れる雄物川(おものがわ)のそばにある水沢(みずさわ)の村に、同じ秋田の土崎港(つちざきみなと)の村に住む男たちがやって来ました。

男たちは五人いて、その手には酒やら旨そうな食べものやらが、たくさん下げられていました。そして皆にこにこしているのです。

そしてたまたま出食わした水沢の村人に、
「松右エ門(まつえもん)どのの家はどこかのう」
と問いかけるのでした。

しかしどの村人に聞いても、
「松右エ門なんてこの村にはおらんでなあ」
と返されてしまいます。
困った五人の男たちは、村の名主の家にやって来ました。

名主もやはりそんな男は知らないと答えました。ますます困った男たちは、名主に事情を話し始めます。

実はその五人は、秋田からはるばるとお伊勢参りに出掛けたのでした。しかし伊勢は遠過ぎて、誰も道を知りません。おまけに五人とも初めての長旅で、旅先でどうすれば良いのかも分かりませんでした。

そんなところで五人がひょっこり出会ったのが、松右エ門という白髪頭のおじいさんでした。同じ秋田から来たということで、五人はすぐに松右エ門と仲良くなりました。
おまけに松右エ門は旅慣れているようで、宿の交渉も道案内も全て軽々とこなしてくれたのです。

おかげで五人は初めての長旅ながらも、何不自由なく楽しく伊勢まで行くことができました。

旅の終わりに五人はお礼に何か贈ろうとしましたが、松右エ門はにこにこと笑って断りました。それじゃ気が済まないと五人が重ねて頼むと、松右エ門はこう答えました。

「わしは雄物川を上った先の水沢の村に住んでるでな。いずれ遊びにいらっしゃい」
そう言って何も受け取ろうとしなかったので、旅の後で五人は相談して、旨い酒や食べ物を持って行こうということにしたのです。

そして良い日が来るのを待って、この日水沢にやって来たものの、探しても探しても松右エ門は見つからない…のだと。

話を聞いた名主は首をひねり、しばらく考えていましたが、ふとひらめいて手を打ちました。
「そうじゃ、もしかしたら松右エ門ってのは、あの松のことかもしれん」

松の木

水沢の村の外れには、確かに一本の大きな大きな古い松の木がありました。その松の木は、いつからかだんだん元気がなくなって枯れそうになっていたのです。しかし村人に手の施しようはなく、なすがままになっていました。

ところが今年になって今にも枯れそうだった木が、息を吹き返したように元気になりました。
名主は五人の男の話とこの松の木の生き返った時期がぴったり合うのに気付きます。

そうです。五人の男を伊勢まで案内した松右エ門の正体は、この松の木だったのです。
元気がなくなっていた松の木が再び元気になったのは、お伊勢参りのありがたさ。長旅を楽しく過ごせたのは松右エ門のおかげ。

めでたい話に皆はにっこりとし、そのまま松の木まで足を運びました。
そして松の木にお供えをして、五人の男と村人みんなで盛大にお祝いをしたそうな。

むかしむかし、ある年の あきのこと。あきたを ながれる雄物川(おものがわ)の そばにある 水沢(みずさわ)の村に、同じ秋田の 土崎港(つちざきみなと)の村にすむ 男たちがやって来ました。

男たちは五人いて、その手には さけやら うまそうなたべものやらが、たくさん下げられていました。そしてみな にこにこしているのです。

そしてたまたま出くわした 水沢の村人に、
「まつえもんどのの 家はどこかのう」
と といかけるのでした。

しかしどの村人に聞いても、
「まつえもんなんて この村には おらんでなあ」
と かえされてしまいます。
こまった五人の 男たちは、村のなぬしの家に やって来ました。

なぬしも やはりそんな男は 知らないとこたえました。ますますこまった 男たちは、なぬしに じじょうを 話しはじめます。

じつはその五人は、あきたから はるばると「おいせまいり」に でかけたのでした。しかし「いせ」は とおすぎて、だれもみちを知りません。おまけに五人とも はじめての ながたびで、たびさきで どうすればよいのかも わかりませんでした。

そんなところで 五人がひょっこり であったのが、まつえもんという しらがあたまの おじいさんでした。同じあきたから来た ということで、五人はすぐに まつえもんと なかよくなりました。
おまけに まつえもんは たびなれているようで、やどのこうしょうも みちあんないも すべてかるがると こなしてくれたのです。

おかげで五人は はじめての ながたびながらも、なにふじゆうなく たのしく「いせ」まで 行くことができました。

たびのおわりに 五人はおれいに 何かおくろうとしましたが、まつえもんは にこにことわらって ことわりました。それじゃ気がすまないと 五人が かさねてたのむと、まつえもんは こうこたえました。

「わしは雄物川を 上った先の 水沢の村に 住んでるでな。いずれあそびにいらっしゃい」
そう言って 何もうけとろうと しなかったので、たびのあとで 五人はそうだんして、うまいさけや たべものを もって行こうということにしたのです。

そしてよい日が 来るのをまって、この日 水沢に やって来たものの、さがしても さがしても まつえもんは 見つからない…のだと。

はなしを聞いた なぬしは くびをひねり、しばらく かんがえていましたが、ふとひらめいて 手をうちました。
「そうじゃ、もしかしたら まつえもんってのは、あのマツのことかもしれん」

松の木

水沢の 村のはずれには、たしかに一本の大きな大きな 古いマツの木が ありました。そのマツの木は、いつからか だんだん元気がなくなって かれそうになっていたのです。しかし村人に 手のほどこしようはなく、なすがままに なっていました。

ところが 今年になって 今にも かれそうだった木が、いきを ふきかえしたように 元気になりました。
なぬしは 五人の男のはなしと このマツの木の 生きかえったじきが ぴったり合うのに 気づきます。

そうです。五人の男を 「いせ」まで あんないした まつえもんの正体は、このマツの木だったのです。
元気がなくなっていた マツの木が ふたたび元気になったのは、「おいせまいり」のありがたさ。ながたびを たのしくすごせたのは まつえもんのおかげ。

めでたい話に みなは にっこりとし、そのままマツの木まで 足をはこびました。
そしてマツの木に おそなえをして、五人の男と 村人みんなで せいだいに おいわいをしたそうな。