むかしむかし、北海道の南の端、松前の町にある神社には、それはそれは立派な桂の木が植わっていました。
ある夜、神社と一緒にあった寺の坊さんがすやすやと寝ていたところ、妙な夢を見てしまいます。
夢に現れたのは白髪頭のおじいさんで、なにやら不思議なことを言いだしたのです。
「わしは沢の奥深くに棲んでおる大蛇じゃ。こんな狭い沢にいるのも飽きたので、沢を下って海に行きたいのじゃ。
海に出たら今度は天高くに昇って、龍になろうと考えておるんじゃが…」
おじいさんは困った顔を作って続けました。
「龍になろうと海に出たいと思っても、海に出ようと沢を下ろうと思っても、ほれ、そこに植わっている桂の木が邪魔でしょうがないんじゃ。あんなに枝が伸びてしまっては、わしの身体がつっかえて出ようにも出られんじゃろ」
坊さんは
「そんなこともあるもんじゃろうか…」
とてふんふん相槌を打って、おじいさんの話を聞いています。
「そこでなんだが、ものは相談なんだがの。あの桂の木を切り倒してくれんか。わしの願いを叶えると思ってくれい」
ここではっと目が覚めた坊さん。
「おかしな夢を見たもんだ、どうしたもんだろう。夢とはいえこれも何かのお告げかもしれない。
いや、待て。
大蛇が海に出るのに、のんびり地面を這っていくものか。水の流れに身を任せてすいすい進むものじゃろう。
普通の蛇なら沢の水だけで充分だけれど、なんたって大蛇じゃ。沢の水だけじゃ全く足らんと、天に雲を呼んで大雨降らせて、村中が水で溢れるに違いない。
おお、そうじゃ、そうに決まっておる」
大蛇の願いは聞き入れてやりたくとも、村を洪水で流されては大変だと思った坊さんは、結局桂の木を切り倒すことはしなかったのだそうです。
むかしむかし、北海道の南のはし、松前(まつまえ)の町にあるじんじゃには、それはそれはりっぱな「かつら」の木がうわっていました。
あるよる、じんじゃといっしょにあった寺のぼうさんが すやすやとねていたところ、みょうなゆめを見てしまいます。
ゆめにあらわれたのは しらがあたまのおじいさんで、なにやらふしぎなことを言いだしたのです。
「わしは沢(さわ)のおくふかくにすんでおる大蛇(だいじゃ)じゃ。こんなせまい沢にいるのも あきたので、沢をくだって海に行きたいのじゃ。
海に出たら こんどは天高くにのぼって、龍(りゅう)になろうと かんがえておるんじゃが…」
おじいさんはこまったかおを 作ってつづけました。
「龍になろうと 海に出たいと思っても、海に出ようと 沢をくだろうと思っても、
ほれ、そこに うわっている『かつら』の木が じゃまでしょうがないんじゃ。
あんなに えだがのびてしまっては、わしの体がつっかえて 出ようにも出られんじゃろ」
ぼうさんは
「そんなこともあるもんじゃろうか…」
とてふんふん あいづちをうって、おじいさんの話を聞いています。
「そこでなんだが、ものはそうだん なんだがの。あの『かつら』の木を 切りたおしてくれんか。
わしのねがいを かなえると思ってくれい」
ここではっと目がさめたぼうさん。
「おかしなゆめを見たもんだ、どうしたもんだろう。ゆめとはいえ これも何かのおつげかもしれない。
いや、まて。大蛇が海に出るのに、のんびりじめんをはっていくものか。水のながれに体をまかせて すいすいすすむものじゃろう。
ふつうのヘビなら沢の水だけで じゅうぶんだけれど、なんたって大蛇じゃ。沢の水だけじゃ まったくたらんと、天にくもをよんで大雨ふらせて、村じゅうが水であふれるに ちがいない。
おお、そうじゃ、そうにきまっておる」
大蛇のねがいは 聞き入れてやりたくとも、村を「こうずい」でながされてはたいへんだ と思ったぼうさんは、けっきょく「かつら」の木を切りたおすことはしなかったのだそうです。