【福岡県】高間堤の河童

高間堤の河童 福岡県広川町
ようかい

一般向け かんじすくなめ こどもむけ

むかしから高間(こうま)の川の土手は、なぜか三月三日の桃の節句の日に限って、村人が誰も近寄らないのだそう。それにはこんな理由があったのです。

むかしむかしのある年の桃の節句の日の夜。村のある若者が、節句のお祝いの振舞い酒をたくさん飲んで酔っ払ってしまいました。千鳥足で家に帰ろうと、ひとりで川の土手をふらふら歩いていたのです。

すると突然、川から一匹の河童が現れ、若者に言いました。
「やいやい。わしと相撲の勝負をせんかい。わしが負ければここを通してやろう。おまえが負けたら通しはせんぞ」

若者は酔っていたせいもあり、軽くその挑戦を受け入れ、ひょいっと河童を投げ飛ばしました。若者は村一番の力持ちだったのです。

夜の川

けれどもそれで終わりにはなりません。すぐに別の河童が現れて、
「今度はわしが相手だ」
と、飛びかかって来ました。
若者は顔色一つ変えず、ひょいっと投げ飛ばします。
するとまた次の河童が登場し、また投げ飛ばし、そしてまた次の河童が…

これではきりがないと思った若者は、土手の茂みに向かって大声で叫びました。
「もう面倒だ。おまえたち、全員でかかってこい!」
若者が手に唾を吐いて構えたものですから、河童たちはぶるぶる震えあがって、一目散に逃げて行ってしまいました。

それ以降、毎年桃の節句になると、土手に河童が現れて、通る人に相撲を挑んでくるようになりました。村人たちは面倒に思って、桃の節句のころは土手を通らなくなったのだそうです。

むかしから 高間(こうま)の川の 「どて」は、なぜか三月三日の「もものせっく」の 日にかぎって、村人がだれも 近よらないのだそう。それにはこんな りゆうがあったのです。

むかしむかしのある年の 「もものせっく」の日のよる。村のあるわかものが、せっくのおいわいの ふるまいさけを たくさんのんで よっぱらってしまいました。ちどり足で 家にかえろうと、ひとりで川の「どて」をふらふら あるいていたのです。

するととつぜん、川から一ぴきの カッパがあらわれ、わかものに言いました。
「やいやい。わしと すもうの しょうぶをせんかい。わしがまければ ここを通してやろう。おまえがまけたら 通しはせんぞ」

わかものは よっていたせいもあり、かるくその ちょうせんを うけ入れ、ひょいっとカッパを なげとばしました。わかものは村一ばんの 力もちだったのです。

夜の川

けれどもそれで おわりには なりません。すぐにべつの カッパがあらわれて、
「こんどは わしがあいてだ」
と、とびかかって来ました。
わかものは かおいろ一つかえず、ひょいっと なげとばします。
するとまた つぎのカッパが とうじょうし、またなげとばし、そしてまた つぎのカッパが…

これではきりがないと おもったわかものは、「どて」のしげみにむかって おおごえでさけびました。
「もうめんどうだ。おまえたち、ぜんいんで かかってこい!」
わかものが手に つばをはいて かまえたものですから、カッパたちは ぶるぶるふるえあがって、いちもくさんに にげて行ってしまいました。

それいこう、まいとし「もものせっく」になると、「どて」にカッパが あらわれて、通る人に すもうをいどんで くるようになりました。村人たちは めんどうにおもって、「もものせっく」のころは「どて」を 通らなくなったのだそうです。


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