むかしがたり

村人思いの娘は強欲な親を諭そうとしましたが…「お仙ころがし」

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お仙ころがし 千葉県勝浦市

  • かなしい

一般向け かんじすくなめ こどもむけ

むかしむかし、勝浦(かつうら)のあたりに古仙家(こせんけ)という豪族がおりました。
古仙家は勝浦の百姓たちとも仲良くしていましたが、あるとき、年貢を高くすることにしました。
もちろん村々の百姓たちは高い年貢を納めることを嫌がりましたが、そうと決まったことは仕方ありません。いつもより多くの年貢を納められた古仙家は、みるみる裕福になりました。

古仙家には、長らく子がいませんでした。神様にすがる思いで願ったところ、ようやく可愛らしい女の赤ん坊を授かります。赤ん坊は「仙(せん)」と名付けられ、蝶よ花よと大切に育てられました。

お仙はすくすくと何不自由なく成長し、13歳になりました。お仙の親はあいも変わらずお仙を可愛がり、何でも買い与えていました。けれども勝浦の百姓たちは、年々重くなる年貢に苦しんでいたのです。

百姓たちはもう我慢できないと、古仙家に直訴しようと話し合いますが、そのたびに村の長老に
「事を荒立てるではない」
そう諭されては、ぐっと我慢していました。

稲

そんな村人たちの話がどこからともなくお仙の耳にも入ってきます。裕福な自分とは違って、百姓たちは苦しんでいることを知ったお仙。
「お父上さま、お願いです。仙のことを思ってくれるなら、これからは仙の着物は粗末な木綿にしてください」
お仙は倹約を申し出ました。お仙の親は
「良い心がけで感心じゃ。さすがお仙じゃ」
と褒めそやすばかりで、お仙の本当の気持ちに気が付きません。

お仙は18歳になりました。
その年は稀に見る豊作。百姓たちの顔もほがらかです。しかし、豊作に目を付けた古仙家は、今までにない重い重い年貢にすると、百姓たちに伝えたのです。

「そんな高い年貢は払えねえだ」
「ずっと今まで我慢してきたが、もう我慢できねえ」
百姓たちの不満は限界にきていました。
百姓の苦しみを痛いほど判っていた名主様が、古仙家を訪れて、年貢を考え直すように頼みこみましたが、逆に怒鳴られて追い返される始末。

その騒ぎを見ていたお仙が
「さすがに年貢が高すぎます。仙はきれいな着物も要りません。贅沢な食べものも欲しくありません。どうか年貢を下げてあげてください」
必死で親にすがりましたが、親は聞き入れませんでした。

米俵

そんなこんなで秋祭りの日が来ました。お仙の親も酒をたっぷり飲んで酔っ払っています。
そこへ、村の若い百姓たちが何人もやってきて、お仙の親を担ぎ上げ、よいしょよいしょとお神輿のように運んでいきました。そしてそのまま高い崖の上から放り投げてしまいました。

朝になって、彼らが崖の下に様子を見に行くと、無残な姿で転がっていたのはお仙の親…ではなく、親の服を着たお仙でした。
百姓たちは酒に酔っていたせいで、お仙が親の着物を着ていたことに全く気付かず、親と思いこんだまま崖から放り投げてしまったのでした。

「なんてことをしてしまったんだ…」
百姓たちは優しかったお仙にしてしまった仕打ちを悔いて泣き続けました。
そんなことがあったので、この崖のことを「お仙ころがし」と呼ぶようになったのだとか。

むかしむかし、勝浦(かつうら)のあたりに古仙家(こせんけ)という ごうぞくがおりました。
古仙家は勝浦の ひゃくしょうたちとも なかよくしていましたが、あるとき、ねんぐを高くすることにしました。
もちろん村むらの ひゃくしょうたちは高いねんぐを おさめることを いやがりましたが、そうときまったことは しかたありません。いつもより多くの ねんぐをおさめられた古仙家は、みるみる ゆうふくになりました。

古仙家には、長らく子がいませんでした。かみさまにすがる おもいで ねがったところ、ようやくかわいらしい 女の赤んぼうを さずかります。赤んぼうは「せん」と名づけられ、ちょうよ花よと たいせつにそだてられました。

「おせん」はすくすくと なにふじゆうなく せいちょうし、13さいになりました。おせんのおやは あいもかわらず おせんをかわいがり、何でもかいあたえていました。けれども勝浦のひゃくしょうたちは、年ねん おもくなるねんぐに くるしんでいたのです。

ひゃくしょうたちは もうがまんできないと、古仙家に じきそしようと はなしあいますが、そのたびに村のちょうろうに
「ことを あらだてるではない」
そう さとされては、ぐっとがまんしていました。

稲

そんな村人たちのはなしが どこからともなくおせんの耳にも入ってきます。ゆうふくな じぶんとはちがって、ひゃくしょうたちは くるしんでいることを知ったおせん。
「お父上さま、おねがいです。せんのことを おもってくれるなら、これからはせんのきものは そまつな『もめん』にしてください」
おせんは けんやくをもうし出ました。おせんのおやは
「よい心がけで かんしんじゃ。さすがおせんじゃ」
と ほめそやすばかりで、おせんの本当の気もちに気がつきません。

おせんは18さいになりました。
その年は まれに見るほうさく。ひゃくしょうたちの かおもほがらかです。しかし、ほうさくに目をつけた古仙家は、今までにない おもいおもい ねんぐにすると、ひゃくしょうたちに つたえたのです。

「そんな高いねんぐは はらえねえだ」
「ずっと今まで がまんしてきたが、もうがまんできねえ」
ひゃくしょうたちのふまんは げんかいにきていました。
ひゃくしょうのくるしみを いたいほどわかっていた なぬしさまが、古仙家をおとずれて、ねんぐを かんがえなおすように たのみこみましたが、ぎゃくに どなられて おいかえされるしまつ。

そのさわぎを見ていたおせんが
「さすがにねんぐが高すぎます。せんはきれいな きものもいりません。ぜいたくなたべものも ほしくありません。どうかねんぐを下げてあげてください」
ひっしで おやにすがりましたが、おやは聞き入れませんでした。

米俵

そんなこんなであきまつりの日が来ました。おせんのおやも さけをたっぷりのんで よっぱらっています。
そこへ、村のわかい ひゃくしょうたちが何人もやってきて、おせんのおやを かつぎ上げ、よいしょよいしょと おみこしのように はこんでいきました。そしてそのまま高いがけの上から ほうりなげてしまいました。

あさになって、かれらががけの下に ようすを見に行くと、むざんなすがたで ころがっていたのは おせんのおや…ではなく、おやのふくをきた おせんでした。
ひゃくしょうたちは さけによっていたせいで、おせんがおやのきものを きていたことに まったく気づかず、おやとおもいこんだまま がけからほうりなげてしまったのでした。

「なんてことをしてしまったんだ…」
ひゃくしょうたちは やさしかったおせんに してしまった しうちをくいて なきつづけました。
そんなことがあったので、このがけのことを「おせんころがし」とよぶようになったのだとか。

画像引用:wikipedia/多摩に暇人様(http://ja.wikipedia.org/wiki/
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(http://www.hashidate-dento. co.jp/official/tawara.html)