むかしむかし、山の深くにおなべさんという女の人が暮らしていました。しかし、おなべさんが一体どこから来て、いつからその山に住んでいるのか知っている人は誰もいませんでした。おなべさんには親も姉妹もおらず、ただ一人っきりで畑を耕したり木を切ったりしてのんびりと過ごしていたのです。
山の奥でたった一人で暮らしていても、おなべさんは寂しくありませんでした。おなべさんは気が強くて怖い物知らず。却って一人で暮らす方が気楽なのだそうです。
ある晩のこと、おなべさんはその日もひとりでご飯を食べていました。そこへ囲炉裏の煙を逃がす穴から、大きな蛇が下りて来て、おなべさんの目の前でぴたりと止まりました。
おなべさんは蛇をちらっと見ましたが、全然驚きません。
すると蛇はおなべさんに向かって、
「わしの嫁さんになってくれ」
と突然言い出しました。
この蛇は山奥のまた奥にある滝壺に住む山の主でした。おなべさんは、
「あたしが主の嫁さんになるのかい?」
と素っ気なく返事をします。
「そうじゃ」
蛇も落ち着いて返しました。
おなべさんは少し考えたふりをして、ちらっと蛇を見ては、けげんそうな声を出しました。
「そうは言うても、嫁になるのが嫌じゃってわけではないが…」
「わけではないが…?」
「お前さんのその蛇の姿は、やっぱりちょっと気味が悪いんじゃ。もう少し、こう、かわいらしい姿になれんかいね? かわいらしければ、嫁にもなろうって気にもなるんじゃけども。たとえば、そうじゃ、小さなお魚とかな。」
その言葉を聞いた蛇は、
「それくらいならお安いご用」
と言って、あっという間に小さな魚の姿に変わりました。ピチピチ跳ねながら、おなべさんの手の上に飛び込んできます。
「おやおや、これはこれはなんともかわいい」
おなべさんは言い終わらぬうちに手の上のお魚をパクッと口に放り込んで、あっという間にゲジゲジと食べてしまいました。
「ああ、旨かった」
山の主が食べられていなくなってしまったので、おなべさんが新たな山の主になりました。
ふもとの村の人たちは、おなべさんが蛇をゲジゲジと食べてしまったことから、こののち、そのあたりの谷を「ゲジが谷」と呼ぶようになったそうな。
むかしむかし、山のふかくに おなべさんという女の人が くらしていました。しかし、おなべさんが 一体どこから来て、いつからその山に すんでいるのか 知っている人は だれもいませんでした。おなべさんには おやも きょうだいもおらず、ただひとりっきりで 畑たがやしたり 木をきったりして のんびりと すごしていたのです。
山のおくで たったひとりで くらしていても、おなべさんは さみしくありませんでした。おなべさんは 気がつよくて こわいもの知らず。かえってひとりで くらすほうが きらくなのだそうです。
あるばんのこと、おなべさんは その日もひとりで ごはんをたべていました。そこへ「いろり」のけむりを にがすあなから、大きなヘビが 下りて来て、おなべさんの目の前で ぴたりととまりました。
おなべさんはヘビを ちらっと見ましたが、ぜんぜんおどろきません。
するとヘビは おなべさんに向かって、
「わしの よめさんになってくれ」
と とつぜん言い出しました。
このヘビは山おくの またおくにある たきつぼに住む山の「ぬし」でした。おなべさんは、
「あたしが『ぬし』の よめさんになるのかい?」
と そっ気なくへんじをします。
「そうじゃ」
ヘビもおちついて かえしました。
おなべさんは少し かんがえたふりをして、ちらっとヘビを見ては、けげんそうな こえを出しました。
「そうは言うても、よめになるのが いやじゃってわけではないが…」
「わけではないが…?」
「おまえさんの そのヘビのすがたは、やっぱりちょっと きみがわるいんじゃ。もう少し、こう、かわいらしい すがたになれんかいね? かわいらしければ、よめにもなろうって 気にもなるんじゃけども。たとえば、そうじゃ、小さなおさかなとかな。」
そのことばをきいたヘビは、
「それくらいなら おやすいごよう」
と言って、あっというまに 小さなさかなのすがたに かわりました。ピチピチはねながら、おなべさんの手の上に とびこんできます。
「おやおや、これはこれは なんともかわいい」
おなべさんは 言いおわらぬうちに 手の上のおさかなを パクッと口に ほうりこんで、あっというまに ゲジゲジとたべてしまいました。
「ああ、うまかった」
山の「ぬし」が たべられて いなくなってしまったので、おなべさんが あらたな山の「ぬし」になりました。
ふもとの村の人たちは、おなべさんがヘビをゲジゲジと たべてしまったことから、こののち、そのあたりの谷を「ゲジが谷」と よぶようになったそうな。