むかしがたり

大雨でいつも流される橋を流されまいとした村人たちが思いついたことは…「福島橋の人柱」

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福島橋の人柱 徳島県徳島市

  • かなしい

一般向け かんじすくなめ こどもむけ

むかしむかし、四国の徳島の町には、東の村とを繋ぐ道がありました。その道の途中の川には、橋がありました。しかし、橋は大雨が降って川の水が増えると、簡単に水に流されてしまいます。そのたびに村の人は新たに橋を架けねばなりませんでした。
橋を架けるのは大変です。働く人がたくさん必要になります。お金もかかります。そして何よりも橋がない間は、川を船で渡らねばならず、気軽に行き来できないのが困りものでした。

「今度架ける橋は、どんな大雨でも流されない丈夫なものにしないといけないのう」
「そうじゃのう」
「そうは言っても、どうすればいいんじゃろうか」
村人たちは話し合いました。
「そういや、人柱を立てると橋が流されんと聞いたぞ」
ある男がこう言うと、
「それはわしも聞いたことがある。しかし、人を生き埋めにすると言っても、誰が喜んでその役を引き受けるんだい?」
「わしは嫌じゃ」
「わしもまだ死ぬのは困る」

そうやって皆が嫌だ嫌だと言い、結局、橋の工事が始まる前の晩の亥の刻(午後10時)に、そこを最初に通りかかった人を人柱にしようという結論になりました。

夜空と川

すっかり夜も更けた亥の刻。村人たちが橋の側を見張っていると、一人の男が通りかかりました。
男は六部(ろくぶ)というお遍路さんで、村人が事情を説明すると、最初は驚いたものの嫌な顔ひとつ作らずに、
「事情はわかりました。私が人柱になりましょう」
と答えたのです。

六部は念仏を唱えながら棺に入ります。村人たちは棺を抱え、掘った穴に埋めてしまいました。
それから49日間は、ずっと六部を弔うために鉦(かね)が鳴らされました。

その後、立派な橋が完成しました。大抵の大雨ではびくともせず、村人は六部のおかげだと感謝したのだそうな。

むかしむかし、四国(しこく)の 徳島(とくしま)の町には、ひがしの村とを つなぐみちが ありました。そのみちの とちゅうの川には、はしがありました。しかし、はしは大雨がふって 川の水がふえると、かんたんに水に ながされてしまいます。そのたびに村の人は あらたにはしを かけねばなりませんでした。
はしをかけるのは たいへんです。はたらく人が たくさんひつようになります。お金もかかります。そしてなによりも はしがないあいだは、川をふねで わたらねばならず、気がるに 行ききできないのが こまりものでした。

「こんどかけるはしは、どんな大雨でもながされない じょうぶなものに しないといけないのう」
「そうじゃのう」
「そうは言っても、どうすればいいんじゃろうか」
村人たちは はなしあいました。
「そういや、『ひとばしら』を立てると はしがながされん と聞いたぞ」
ある男がこう言うと、
「それはわしも 聞いたことがある。しかし、人を生きうめにする と言っても、だれがよろこんで そのやくを ひきうけるんだい?」
「わしはいやじゃ」
「わしもまだ しぬのはこまる」

そうやってみなが いやだいやだと言い、けっきょく、はしのこうじが はじまるまえのばんの 亥の刻(いのこく・よる10じ)に、そこをさいしょに とおりかかった人を『ひとばしら』にしようという けつろんになりました。

夜空と川

すっかりよるもふけた10じ。村人たちが はしのそばを 見はっていると、ひとりの男が とおりかかりました。
男は六部(ろくぶ)という「おへんろさん」で、村人が じじょうをせつめいすると、さいしょはおどろいたものの いやなかお ひとつ作らずに、
「じじょうはわかりました。わたしが『ひとばしら』になりましょう」
と こたえたのです。

六部はねんぶつを となえながら ひつぎに入ります。村人たちは ひつぎをかかえ、ほったあなに うめてしまいました。
それから49日かんは、ずっと六部を とむらうために 鉦(かね)がならされました。

そのご、りっぱなはしが かんせいしました。たいていの大雨では びくともせず、村人は六部のおかげだと かんしゃしたのだそうな。

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 福島橋

福島橋

県道29号徳島環状線の橋で、橋の中ほどには人柱の跡地である石積みの橋台が残っています


よみ ふくしまばし
住所 徳島県徳島市新蔵町3
電話 088-621-5085(徳島市企画政策局企画政策課)
時間 24時間
定休 無休
料金 無料
その他  

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画像引用:徳島市企画政策局企画政策課様(http://www.suito-tokushima.jp/trip/item.cgi?Id=29)