むかしがたり

お寺の工事に現れた娘の正体は…?「都婆の松」

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都婆の松 新潟県阿賀野市

  • ふしぎ

一般向け かんじすくなめ こどもむけ

むかしむかし、親鸞聖人という偉い坊さんがおりました。親鸞は日本中を歩いて旅をしておりました。
あるとき、越後の分田(ぶんだ)というところを通りかかり、ちょうど昼どき、お腹も減ったので、そこで昼ごはんにすることにしました。

よいしょと腰を下ろして弁当包みを開けたところ、箸が入っていません。親鸞は慌てることなく、そばに生えていた松の木の細い枝を2本折って箸の代わりにしました。
「ああ、旨かった」
腹が膨れた親鸞は、松の枝の箸を道端の土に挿して、再び歩き出しました。

しばらくすると不思議なことに、その箸に根が生え、枝が伸び、葉っぱまでも生えてきたのです。
そのあとも箸はすくすくと生長し、立派な松の大木になりました。

松

それから数百年後。
京都にある本願寺というお寺が、建て替えられることになりました。とても大きなお寺なので、日本全国から人や物が集まります。
その中の一人に松という名前の娘がおりました。

「私は越後の分田というところから来ました。一生懸命働きますので、ぜひお手伝いをさせてください」
そう言って娘は黙々と働き始めます。
それはもう皆が驚くくらいの働きぶりでした。
「遠い所からわざわざ来て、こんなに働くとは感心な娘っ子じゃ」
皆、そうやって娘を褒めました。

娘は歌も上手でした。働きながら口ずさむ娘の歌声に、皆ますます元気になってどんどん働きます。

あれよあれという間に工事は進み、わずか2カ月ほどで終わりました。あまりの早さだったので、皆は娘の歌声のおかげで早く工事が終わったと噂をします。

お寺の坊さんもたいそう喜んで、娘の育った分田の村までお礼を述べにやってきました。

東本願寺御影堂

さて、京の都からはるばる越後の分田までやって来た坊さんでしたが、村中を尋ねてみても「松」という名前の娘は見つかりません。

困ってしまった坊さんでしたが、村の一人の年寄りから、もしやという話を聞くことができました。
なんでも、村に親鸞が植えた立派な松の木があるものの、本願寺の工事が始まったころから段々と元気を失くしてしまって枯れそうになっているのだと。

坊さんはその松の木の精が、工事の手伝いに来てくれたのであろうと思い当たりました。
すぐに松の木へ向かい、お経をあげて供養をすると、枯れそうだった松の木は息を吹き返したように元気になったそうな。

むかしむかし、親鸞聖人(しんらんしょうにん)という えらいぼうさんが おりました。親鸞(しんらん)は日本じゅうをあるいて たびをしておりました。
あるとき、越後(えちご)の分田(ぶんだ)というところを通りかかり、ちょうどひるどき、おなかもへったので、そこでひるごはんに することにしました。

よいしょとこしを下ろして べんとうづつみを あけたところ、はしが入っていません。親鸞はあわてることなく、そばに生えていたマツの木の ほそいえだを2本おって はしのかわりにしました。
「ああ、うまかった」
はらがふくれた親鸞は、マツのえだのはしを みちばたの土にさして、ふたたびあるき出しました。

しばらくすると ふしぎなことに、そのはしに ねが生え、えだがのび、はっぱまでも生えてきたのです。
そのあともはしは すくすくとせいちょうし、りっぱなマツの大木になりました。

松

それから すうひゃくねんご。
京都(きょうと)にある本願寺(ほんがんじ)というお寺が、たてかえられることになりました。とても大きなお寺なので、日本ぜんこくから人やものが あつまります。
その中のひとりに「まつ」という名まえの むすめがおりました。

「わたしは越後の分田というところから来ました。いっしょうけんめい はたらきますので、ぜひお手つだいをさせてください」
そう言って むすめはもくもくと はたらきはじめます。
それはもうみなが おどろくくらいの はたらきぶりでした。
「とおいところから わざわざ来て、こんなにはたらくとは かんしんなむすめっ子じゃ」
みな、そうやってむすめを ほめました。

むすめは うたもじょうずでした。はたらきながら口ずさむ むすめのうたごえに、みなますます げんきになって どんどんはたらきます。

あれよあれというまに こうじはすすみ、わずか2か月ほどで おわりました。あまりの早さだったので、みなはむすめの うたごえのおかげで 早くこうじがおわったと うわさをします。

お寺のぼうさんも たいそうよろこんで、むすめのそだった 分田の村まで おれいをのべに やってきました。

東本願寺御影堂

さて、京(きょう)のみやこから はるばる越後の分田までやって来た ぼうさんでしたが、村中をたずねてみても「まつ」という名まえのむすめは見つかりません。

こまってしまった ぼうさんでしたが、村のひとりの年よりから、もしやという はなしを聞くことができました。
なんでも、村に親鸞がうえた りっぱなマツの木があるものの、本願寺のこうじが はじまったころから だんだんとげんきをなくしてしまって かれそうになっているのだと。

ぼうさんはそのマツの木の「せい」が、こうじの手つだいに来てくれたのであろうと おもいあたりました。
すぐにマツの木へむかい、おきょうをあげて くようをすると、かれそうだったマツの木は いきをふきかえしたように げんきになったそうな。