【富山県】塩売り石

塩売り石 富山県高岡市
ふしぎおもしろ

一般向け かんじすくなめ こどもむけ

むかしむかし、高岡に住む人は、能登(のと)の志雄(しお)という海沿いの村からやって来る塩売りから、塩を買っていました。
塩売りはいつも荷物を牛の背中に載せ、くねくねと曲がる山道を一生懸命登っては、山を下って高岡にやって来るのでした。

いくつも山を登って下るのは骨が折れる仕事です。そのくせ、さほど儲かるものでもありません。塩売りは常々、もっとたくさんお金を稼げないものかと思っていました。

ある日、高岡で塩を売り終わって、再び山道を登って帰る途中でのことです。
夕暮れの狭い細い山道、何度も通って来たはずの道でしたが、塩売りは山に迷い込んでしまいました。辺りを見回しても、どうもこれまで見たことのない景色しか目に映りません。
「迷ってしもうたな…」
塩売りは困ってしまいました。

それでも歩いていれば、いつかは知った場所に辿りつくに違いない。そう考えた塩売りは、道なき道をてくてくと歩き続けました。
しばらく進んだところで、塩売りは驚いて足を停めてしまいました。
塩売りの目の前に、見たこともないすごい量の塩の山があったからです。

「塩じゃ! こんなところに塩があるぞ! この塩を売れば大儲けじゃ!」
塩売りは大喜びで駆けよると、人差し指に塩を付けて、ペロッと舐めました。
「うわっ! まずい!」
ペッと吐き出す塩売り。それは塩ではなく、細かくて真っ白の砂だったのです。

「なんだぁ。砂かあ…」
がっかりした塩売りでしたが、何かひらめいたのでしょう。大急ぎで山を下り、家に戻りました。もちろん通った道を忘れないように注意しながら。

次の朝、塩売りは塩を俵に詰めて、牛の背中に載せました。そして空っぽの俵袋もたくさん載せて、再び山を登り始めます。
昨晩見つけた砂の山に辿り着くと、塩売りは牛に載せて運んだ塩と山の砂を混ぜて、俵袋に詰めていきました。
昼時になるころには、牛の背中にやっと載るくらいの、大量の塩の袋ができあがりました。

「しめしめ。これでひと儲けじゃ」
塩売りはほくそ笑んで山を進み、高岡の近くの五十辺(いからべ)という村までやって来ました。
「しお~、塩はいらんかえ~」
塩売りが声を出しながら村を歩くと、たちまち村人が集まってきました。
「塩をおくれ」
「わしにも売っておくれ」
塩は飛ぶように売れました。

塩

村人は塩売りから買った塩を、家に持ち帰りました。ある者は料理の味付けに使い、ある者は塩で漬物をこしらえました。
しかし砂がたくさん入った塩です。とてもじゃありませんが、食べられません。
偽物の塩を買わされたと気付いた村人は大怒り。皆であの塩売りを捕まえて懲らしめてやろうということになり、すぐに塩売りの後を追いかけました。

一方、大金を儲けた塩売りは、得意満面で帰り路を歩いていました。
「思いのほか上手く行ったわい。次は別の村で砂入りの塩を売って儲けよう」
ところが突然、歩いていた塩売りの足が動かなくなりました。塩売りだけではありません。一緒に連れていた牛も歩けなくなってしまいました。
「な、なんじゃ!?」
驚いた塩売りが自分の足を見てみると、足が石になっていました。しかもいつの間にか腰も手も、固まって石になろうとしていました。
「うわあああああ」
叫んでもどうにもなりません。胸も首も石になり、最後には塩売りの頭の先まで全部石になってしまいました。

塩売りを追い掛けて来た村人たちは、石になった塩売りと牛を見つけてびっくり。
「こいつの悪だくみを許せないと思った神様が、不思議な力で石にしてしまったのじゃろうなあ」
村人たちは、そう噂しあったのだそうです。

むかしむかし、高岡(たかおか)に すむ人は、能登(のと)の志雄(しお)という うみぞいの村から やって来る しおうりから、しおを かっていました。
しおうりは いつもにもつを ウシのせなかにのせ、くねくねとまがる 山みちを いっしょうけんめい のぼっては、山を下って たかおかに やって来るのでした。

いくつも山を のぼって下るのは ほねがおれる しごとです。そのくせ、さほど もうかるものでも ありません。しおうりは つねづね、もっとたくさん お金をかせげないものかと おもっていました。

ある日、たかおかで しおを うりおわって、ふたたび山みちを のぼってかえる とちゅうでのことです。
夕ぐれの せまいほそい山みち、何ども とおって来たはずの みちでしたが、しおうりは 山にまよいこんで しまいました。あたりを 見まわしても、どうもこれまで 見たことのない けしきしか 目にうつりません。
「まよってしもうたな…」
しおうりは こまってしまいました。

それでも あるいていれば、いつかは 知ったばしょに たどりつくに ちがいない。そうかんがえた しおうりは、みちなきみちを てくてくと あるきつづけました。
しばらくすすんだところで、しおうりは おどろいて 足をとめてしまいました。
しおうりの 目のまえに、見たこともない すごいりょうの しおの山が あったからです。

「しおじゃ! こんなところに しおがあるぞ! このしおをうれば 大もうけじゃ!」
しおうりは 大よろこびで かけよると、人さしゆびに しおをつけて、ペロッと なめました。
「うわっ! まずい!」
ペッと はき出す しおうり。それは しおではなく、こまかくて まっ白の すなだったのです。

「なんだぁ。すなかあ…」
がっかりした しおうりでしたが、何か ひらめいたのでしょう。大いそぎで 山を下り、家にもどりました。もちろん とおったみちを わすれないように ちゅういしながら。

つぎのあさ、しおうりは しおを たわらにつめて、ウシのせなかに のせました。そして空っぽの たわらぶくろも たくさんのせて、ふたたび 山をのぼりはじめます。
さくばん見つけた すなの山に たどりつくと、しおうりは ウシにのせて はこんだしおと 山のすなをまぜて、たわらぶくろに つめていきました。
ひるどきに なるころには、ウシのせなかに やっとのるくらいの、たいりょうの しおのふくろが できあがりました。

「しめしめ。これで ひともうけじゃ」
しおうりは ほくそえんで 山をすすみ、たかおかの ちかくの 五十辺(いからべ)という 村まで やって来ました。
「しお~、しおは いらんかえ~」
しおうりが こえを出しながら 村をあるくと、たちまち村人が あつまってきました。
「しおを おくれ」
「わしにも うっておくれ」
しおは とぶように うれました。

塩

村人は しおうりから かったしおを、家に もちかえりました。あるものは りょうりの あじつけにつかい、あるものは しおで つけものを こしらえました。
しかしすなが たくさん入った しおです。とてもじゃありませんが、たべられません。
にせもののしおを かわされたと 気づいた村人は 大いかり。みなで あのしおうりを つかまえて こらしめてやろう ということになり、すぐに しおうりのあとを おいかけました。

いっぽう、大金をもうけた しおうりは、とくいまんめんで かえりみちを あるいていました。
「おもいのほか うまく行ったわい。つぎは べつの村で すな入りのしおを うって もうけよう」
ところがとつぜん、あるいていた しおいりの足が うごかなくなりました。しおうりだけでは ありません。いっしょにつれていた ウシも あるけなくなってしまいました。
「な、なんじゃ!?」
おどろいたしおうりが じぶんの足を 見てみると、足が 石になっていました。しかもいつのまにか こしも 手も、かたまって 石になろうと していました。
「うわあああああ」
さけんでも どうにもなりません。むねも くびも 石になり、さいごには しおうりの あたまの先まで ぜんぶ石に なってしまいました。

しおうりを おいかけて来た 村人たちは、石になった しおうりと ウシを 見つけてびっくり。
「こいつのわるだくみを ゆるせないとおもった かみさまが、ふしぎな力で 石にして しまったのじゃろうなあ」
村人たちは、そう うわさしあったのだそうです。


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塩売り石

塩売り石

塩売りが石にされたと伝わる奇妙な形の石。もとは山奥の池のそばにあったもので、日露戦争の戦没者祈念碑として使うために、一部分が現在の場所に運ばれて加工されました。



よみ しおうりいし
住所 富山県高岡市江道667
電話 0766-20-1453(高岡市教育委員会文化財課)
時間
休み なし
料金 無料
その他  

画像引用:高岡市教育委員会(http://www.manabi-takaoka.jp/03/jpn/area/detail/274/1/detail.html)

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