【長野県】姨捨山

姨捨山 長野県千曲市
おもしろゆうめい

一般向け かんじすくなめ こどもむけ

むかしむかし、信州にひとりの殿さまがいました。この殿さまは、なぜかお年寄りが大嫌い。ただ嫌いなだけなら、まだ良かったのですが、仕舞には国中に「六十歳を過ぎた年寄りは山に捨てるべし」という、とんでもないお触れを出すほどだったのです。

国の民は皆、弱ってしまいました。しかし殿さまのお触れに逆らうことはできません。六十になったら山に行くしかない…
皆そうやって諦めてしまいました。

ある村に母と息子が住んでいました。母の年は六十になり、息子はお触れに従って山に母を捨てに行かねばなりません。
息子は母を背中にしょって、山の中に入って行きました。
大切な親を捨てなければならない悲しさから、息子は何も言わず、どんどん山の奥に進んでいきます。

背中にしょわれた母もまた無言のままでした。しかしなぜか不思議なことに、母は時々、木の枝をポキッと折って、道の上に一本ずつ捨てているのでした。何のためにそんなことをしているのか、息子は首をひねりましたが、何も問わずに黙々と山道を歩き続けました。

どれほど歩いたことでしょう。見たこともない山の奥のまた奥まで来ました。辺りは日も暮れかけています。息子は母を背中から下ろすと、ひとことふたこと言葉を交わして、その場から立ち去りました。ひとり残された母は、何も言わず、離れて行く息子をただじっと見つめるだけでした。

ところが。あまりにも山の奥まで来てしまったせいで、息子は帰り道が分からなくなってしまいました。あちこちをうろうろしてみたものの、ますます迷うばかりです。
結局息子は、残された母の居る場所に再び戻って来たのでした。

戻って来た息子の姿を見た母は、静かにこう言いました。
「こんなこともあるかと思うて、木の枝を道に落としてきたんじゃ。枝を道しるべにして辿れば、麓に帰れるじゃろ。気をつけてお帰り」
捨てられる身でありながら、それでも息子を思う親心に心を打たれた息子は、母を捨てるのをやめ、一緒に家に帰りました。
これは殿さまのお触れに逆らうことになります。息子はそれでも良いと思ったのです。

それからしばらく経ったある日のこと。
隣の国から殿さまのところに、使者がやって来ました。使者は隣の国の殿さまからの手紙を持っていました。
その手紙には「灰で縄をなって、持って参れ。できなくば、攻め入って滅ぼしてくれよう」と書かれていました。

縄

殿さまは困ってしまいました。灰で縄をなうなんて、できるはずがありません。家来もただただ、首をひねるばかりです。
仕方なく殿さまは、灰で縄をなうことができる者がいたら城に来るようにと、お触れを出しました。

お触れを聞いた息子は家に戻り、母に話して聞かせました。
すると母は平然とした顔で、
「濃い塩水に藁を浸してから、その藁で縄をなうとええ。あとは焼いてしまえば、縄の形のままで灰になるじゃろ」
と答えたのです。

息子が早速試してみると、見事に灰の縄ができました。灰を崩さないようにそっと持ち上げて、城へ持って行くと、殿さまは大喜び。

しかしまたもや隣の国が使者を送って来たのです。今度の手紙には「この玉に糸を通せ」とあり、玉には穴が開いていました。しかし穴はまっすぐに開いているのではなく、中でくねくねと曲がっていたのです。これではつっかえてしまって、糸が通りません。

再び息子が母に尋ねると、母は落ち着いて答えました。
「片方の穴の入口に蜂蜜を塗るじゃろ。それで蟻の足に細い糸を結んでな、反対の穴から入れてやればええ」
これも息子が試してみたところ、大成功。

しかししかし、二度ある事は三度ある。またまた隣の国が、今度は「叩かなくても音が鳴る太鼓を作れ」と言ってきたのです。
これもまた母が、
「アブを何匹か捕まえて来て、太鼓の中に入れればええ」
と簡単に答え、息子が試してみると、確かに叩かなくても勝手に音が鳴る太鼓になりました。
この太鼓を見て、殿さまは大喜びです。

無理難題を三度も解決するほどの智恵がある国に攻め入っても、勝ち目はないと判断した隣の国の殿さまは、それ以降、無理を言って来る事がなくなりました。
息子は殿さまに大いに褒められ、ご褒美をもらえることになりました。しかし息子は褒美は要らないと言います。これら三つの難題を解決したのは、六十を過ぎた母でした。母を山に捨てないで良いようにしてくれと頼んだのです。
殿さまは大いに感心しました。お年寄りを大切にしなければならないと気付いた殿さまは、お年寄りを山に捨てろというお触れを取りやめたのです。
こうして国の民は、安心してお年寄りと暮らすことができるようになったのだそうな。

むかしむかし、信州(しんしゅう)に ひとりのとのさまが いました。このとのさまは、なぜかお年よりが 大きらい。ただきらいなだけなら、まだよかったのですが、しまいには くにじゅうに「六十さいを すぎた年よりは 山にすてるべし」という、とんでもない「おふれ」を 出すほどだったのです。

くにのたみは みな、よわってしまいました。しかしとのさまの 「おふれ」にさからうことは できません。六十になったら 山に行くしかない…
みな そうやって あきらめてしまいました。

ある村に 母とむすこが 住んでいました。母の年は 六十になり、むすこは 「おふれ」にしたがって 山に母を すてに行かねばなりません。
むすこは 母をせなかにしょって、山の中に 入って行きました。
たいせつなおやを すてなければならない かなしさから、むすこは 何も言わず、どんどん山のおくに すすんでいきます。

せなかにしょわれた母も またむごんの ままでした。しかしなぜか ふしぎなことに、母はときどき、木のえだを ポキッとおって、みちの上に 一本ずつ すてているのでした。何のために そんなことを しているのか、むすこは くびをひねりましたが、何もとわずに もくもくと 山みちを あるきつづけました。

どれほど あるいたことでしょう。見たこともない 山のおくの またおくまで来ました。あたりは 日もくれかけています。むすこは 母をせなかから 下ろすと、ひとことふたこと ことばをかわして、そのばから 立ちさりました。ひとり のこされた母は、何も言わず、はなれて行く むすこを ただじっと 見つめるだけでした。

ところが。あまりにも 山のおくまで 来てしまったせいで、むすこは かえりみちが 分からなくなってしまいました。あちこちを うろうろしてみたものの、ますます まようばかりです。
けっきょくむすこは、のこされた 母のいるばしょに ふたたびもどって来たのでした。

もどって来た むすこのすがたを 見た母は、しずかにこう 言いました。
「こんなことも あるかとおもうて、木のえだを みちにおとしてきたんじゃ。えだを みちしるべにして たどれば、ふもとに かえれるじゃろ。気をつけて おかえり」
すてられる みでありながら、それでも むすこをおもう おやごころに こころを うたれたむすこは、母をすてるのをやめ、いっしょに 家にかえりました。
これはとのさまの 「おふれ」に さからうことになります。むすこは それでもよいと おもったのです。

それから しばらくたった ある日のこと。
となりのくにから とのさまのところに、「ししゃ」が やって来ました。「ししゃ」は となりのくにの とのさまからの 手がみを もっていました。
その手がみには「『はい』で『なわ』をなって、もってまいれ。できなくば、せめ入って ほろぼしてくれよう」とかかれていました。

縄

とのさまは こまってしまいました。「はい」で「なわ」をなうなんて、できるはずが ありません。けらいも ただただ、くびをひねるばかりです。
しかたなく とのさまは、「はい」で「なわ」を なうことが できるものがいたら しろに来るようにと、「おふれ」を出しました。

「おふれ」を聞いた むすこは 家にもどり、母に話して 聞かせました。
すると母は へいぜんとした かおで、
「こい『しおみず』に 『わら』を ひたしてから、その『わら』で 『なわ』を なうとええ。あとは やいてしまえば、『なわ』のかたちのままで 『はい』になるじゃろ」
とこたえたのです。

むすこが さっそくためしてみると、みごとに 「はい」の「なわ」が できました。「はい」を くずさないように そっともち上げて、しろへ もって行くと、とのさまは 大よろこび。

しかしまたもや となりのくにが 「ししゃ」を おくって来たのです。こんどの手がみには「この『たま』に 糸を通せ」とあり、「たま」には あなが あいていました。しかしあなは まっすぐに あいているのではなく、中でくねくねと まがっていたのです。これでは つっかえてしまって、糸が通りません。

ふたたびむすこが 母にたずねると、母はおちついて こたえました。
「かたほうの あなの入口に はちみつを ぬるじゃろ。それでアリの足に ほそい糸を むすんでな、はんたいのあなから 入れてやればええ」
これもむすこが ためしてみたところ、大せいこう。

しかししかし、二どあることは 三どある。またまたとなりのくにが、こんどは「たたかなくても 音がなる 『たいこ』を作れ」と 言ってきたのです。
これもまた母が、
「アブを何びきか つかまえて来て、『たいこ』の中に 入れればええ」
と かんたんにこたえ、むすこが ためしてみると、たしかに たたかなくても かってに 音がなる「たいこ」になりました。
この「たいこ」を見て、とのさまは 大よろこびです。

むりなんだいを 三どもかいけつするほどの ちえがあるくにに せめ入っても、かち目はないと はんだんした となりのくにの とのさまは、それいこう、むりを言って来ることが なくなりました。
むすこは とのさまに 大いにほめられ、ごほうびを もらえることになりました。しかしむすこは ほうびはいらないと言います。これら三つのなんだいを かいけつしたのは、六十をすぎた 母でした。母を山に すてないでよいように してくれと たのんだのです。
とのさまは 大いにかんしんしました。おとしよりを たいせつにしなければならないと 気づいたとのさまは、おとしよりを 山にすてろという 「おふれ」をとりやめたのです。
こうして くにのたみは、あんしんして おとしよりと くらすことができるように なったのだそうな。


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