【三重県】孝行鰻

孝行鰻 三重県伊勢市
かんこうスポット

一般向け かんじすくなめ こどもむけ

むかしむかし、お伊勢さんのそばに、弥吉という若者が住んでいました。弥吉は幼いころに父と母を亡くしていました。他に身寄りがなかった弥吉を、隣に住んでいた左官屋の夫婦が可哀想に思って、家に引き取りました。

弥吉は素直な良い子だったので、左官屋の夫婦に我が子同然に可愛がられ、すくすくと成長しました。
弥吉もまた、育ててもらった恩を返そうとして、昼間は左官屋の仕事を早く覚えようと熱心に働きました。身体を泥だらけにして、汗だくになりながら、不平をひとつも言わずに働きました。

そして弥吉が十五になったある日のことです。
左官屋の父の体調が、どうも思わしくありません。
「しばらく寝てれば治るわい」
父は強がってそう言いますが、三日経っても寝込んだきり。一週間経っても体調は良くならず、ますます悪くなるばかりでした。

弥吉は悩みました。
「どうするべ…父ちゃんを治してやりたいけんど、どうするべ…
何か良く効く薬でもあればいいんじゃが…」
近所の人に良い方法がないか聞いて周りましたが、良い返事は返って来ません。

頭を抱えてしまった弥吉でしたが、ちょうどそこへ江戸から帰って来たばかりの商人が声をかけてきました。
「よう、弥吉でねえか。どうした、そんな不景気な顔をして」
弥吉は事情を話しました。すると商人は手のひらをポンと打ち、こう答えたのです。
「それはなあ、蒲焼きを食べさせりゃ良くなるで。ウナギを焼いたものなんじゃが、最近江戸じゃあ、蒲焼きを食わせる店が大当たりでな。食えば元気が出ると評判じゃ」

ウナギの蒲焼き

「ウナギ…、それだ!」
弥吉の顔がぱあっと明るくなりました。弥吉は商人に礼を言うと、すぐに川へ走りました。
なんとかウナギを一匹捕まえて、家に持ち帰ると、手早く火を起こしてウナギをじっくり焼き上げました。

弥吉が焼いたウナギを食べた父は、大層喜びました。
「こりゃあ旨いなあ。みるみる力が湧いて来るようじゃ」
その言葉を聞いた弥吉は、飛び上るほど嬉しくなりました。こうなったら毎日ウナギを獲って焼き、父に食べさせようと心に決めたのです。
「だったらいっそ、たくさん焼いて売り歩けば良い商いになるかもしれん…」

次の日から弥吉は、左官屋の仕事が終わるとすぐにウナギを焼いて、伊勢の町を売り歩くようになりました。
ちょうど夕食の支度どきです。弥吉の蒲焼きは良く売れました。
そしてウナギを毎日食べたおかげで、父もすっかり元気になりました。

その後、来る日も来る日も、雨が降ろうが風が吹こうが、弥吉は熱心に町を歩いてウナギを売り続けました。
焼き立ての蒲焼きは評判を呼び、町の人は毎日休まず働く弥吉を褒めそやしました。

いつからか、弥吉の蒲焼きは、親孝行な息子が頑張って売るウナギだから「孝行鰻」と呼ばれるようになりました。そして弥吉は貯まったお金で、蒲焼きの店を構えるまでになったのです。
今でもその店は「孝行鰻」の店として、伊勢の町で大いに繁盛しているのだそうな。

むかしむかし、お伊勢(いせ)さんのそばに、やきち というわかものが 住んでいました。やきちは おさないころに 父と母を なくしていました。ほかにみよりが なかった やきちを、となりに住んでいた 「さかんや」のふうふが かわいそうに思って、家に ひきとりました。

やきちは すなおな よい子だったので、「さかんや」のふうふに わが子どうぜんに かわいがられ、すくすくと せいちょうしました。
やきちも また、そだててもらった おんを かえそうとして、ひるまは 「さかんや」のしごとを 早くおぼえようと ねっしんに はたらきました。体を どろだらけにして、あせだくに なりながら、ふへいを ひとつも言わずに はたらきました。

そして やきちが 十五になった ある日のことです。
「さかんや」の父の たいちょうが、どうも 思わしくありません。
「しばらく ねてれば なおるわい」
父は つよがって そう言いますが、三日たっても ねこんだきり。一しゅうかん たっても たいちょうは よくならず、ますます わるくなるばかりでした。

やきちは なやみました。
「どうするべ…父ちゃんを なおして やりたいけんど、どうするべ…
何かよくきく くすりでも あればいいんじゃが…」
きんじょの人に よいほうほうがないか 聞いてまわりましたが、よいへんじは かえって来ません。

あたまを かかえてしまった やきちでしたが、ちょうどそこへ江戸(えど)から かえって来たばかりの あきんどが こえをかけてきました。
「よう、やきちでねえか。どうした、そんなふけいきな かおをして」
やきちは じじょうを 話しました。するとあきんどは 手のひらを ポンとうち、こう こたえたのです。
「それはなあ、かばやきを たべさせりゃ よくなるで。ウナギを やいたものなんじゃが、さいきん江戸(えど)じゃあ、かばやきを くわせるみせが 大あたりでな。くえば 元気が出ると ひょうばんじゃ」

ウナギの蒲焼き

「ウナギ…、それだ!」
やきちのかおが ぱあっと 明るくなりました。やきちは あきんどに れいを言うと、すぐに川へ 走りました。
なんとかウナギを 一ぴきつかまえて、家に もちかえると、手早く 火をおこして ウナギをじっくり やき上げました。

やきちがやいた ウナギを たべた父は、たいそうよろこびました。
「こりゃあ うまいなあ。みるみる力が わいて来るようじゃ」
そのことばを聞いた やきちは、とび上るほど うれしくなりました。こうなったら まい日ウナギを とって やき、父にたべさせようと 心にきめたのです。
「だったらいっそ、たくさんやいて うりあるけば よいあきないに なるかもしれん…」

つぎの日から やきちは、「さかんや」の しごとがおわると すぐにウナギをやいて、伊勢(いせ)の町を うりあるくように なりました。
ちょうど夕しょくの したくどきです。やきちの かばやきは よくうれました。
そしてウナギを まい日 たべたおかげで、父もすっかり げんきになりました。

そののち、来る日も 来る日も、雨がふろうが かぜがふこうが、やきちは ねっしんに 町をあるいて ウナギを うりつづけました。
やき立ての かばやきは ひょうばんを よび、町の人は まい日 休まずはたらく やきちを ほめそやしました。

いつからか、やきちのかばやきは、おやこうこうな むすこが がんばって うるウナギだから 「こうこううなぎ」と よばれるようになりました。そしてやきちは たまったお金で、かばやきの「みせ」を かまえるまでに なったのです。
今でもその「みせ」は 「こうこううなぎ のみせ」として、伊勢(いせ)の町で 大いに はんじょうしているのだそうな。


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伊勢神宮(内宮)

伊勢神宮(内宮)

宇治橋を渡って玉砂利を敷き詰めた長い参道を歩んだ先の神域は、厳かさが場を支配する静寂の地です



よみ いせじんぐう(ないくう)
住所 三重県伊勢市宇治館町1
電話 0596-24-1111(神宮司庁)
時間 1月~4月、9月 5時~18時、
5月~8月 5時~19時、
10月~12月 5時~17時
休み なし
料金 無料
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