むかしがたり

子供に栗をもらった弘法大師さまがした、ちょっと不思議なお礼とは?「弘法栗」

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弘法栗 山梨県北杜市

  • ふしぎ

一般向け かんじすくなめ こどもむけ

むかしむかし、八ヶ岳(やつがたけ)の麓の村に大きな栗の木がありました。村の子供たちが栗の木の下に集まって栗拾いをしていたところ、日本中を旅していた弘法大師さまが通りかかりました。

歩き疲れた弘法大師さまは、ちょいと一休みして腰掛け、和気あいあいと栗を拾う子供たちを眺めています。
子供たちは小さな掌にふたつ、みっつ、よっつと栗の実を握りしめては、まだまだ拾いたいと意気込んでいました。

しかし、小さな子供ですから高い栗の木によじ登ることはできません。
「木登りができたら、たくさん栗を採れるのに」
そう呟いていたところを、弘法大師さまが声を掛けました。

「これ、子供たちや。その美味しそうな栗を少し分けてはくれないかい。歩き続けて腹が減ってしもうてな」
子供たちは粗末な服装の坊さんを見て、いかにもひもじそうだったので、拾ったいくばくかの栗の実を分けてあげました。

「ああ、おいしい。おいしい。お前たちは優しいね」
そうにこやかに言いながら、栗を食べる弘法大師さま。
子供たちも良いことをしたと、満足そうです。

栗の実

栗の実を食べ終わった弘法大師さまは、子供たちの方に向き直り、
「こんな大きな木だと、栗の実を採るのにも苦労するじゃろうに」
そう言って立ち上がり、持っていた杖で栗の木の幹をコンコンと軽く叩きました。

するとどうでしょう。
首が痛くなるほど見上げてもまだ足りないくらい高かった大きな大きな栗の木が、しゅるるるるとしぼんで、子供の背丈くらいの高さに縮んだのです。

「これでよい」
弘法大師さまは満足そうな顔で去っていきました。

その後も栗の木は大きくなることがなく、けれどもびっくりするくらいのたくさん実を毎年つけるようになりました。
この栗の木を村の人たちは「弘法栗」と呼んで、大切にしたそうな。

むかしむかし、八ヶ岳(やつがたけ)のふもとの村に 大きなクリの木がありました。村の子どもたちがクリの木の下に あつまってクリひろいをしていたところ、日本中をたびしていた 弘法大師(こうぼうだいし)さまが とおりかかりました。

あるきつかれた弘法大師さまは、ちょいとひと休みしてこしかけ、わきあいあいと クリをひろう子どもたちを ながめています。
子どもたちは小さな てのひらにふたつ、みっつ、よっつとクリのみを にぎりしめては、まだまだひろいたいと いきごんでいました。

しかし、小さな子どもですから 高いクリの木に よじのぼることはできません。
「木のぼりができたら、たくさんクリをとれるのに」
そうつぶやいていたところを、弘法大師さまが こえをかけました。

「これ、子どもたちや。そのおいしそうな クリを少し分けてはくれないかい。あるきつづけて はらがへってしもうてな」
子どもたちは そまつなふくそうの ぼうさんを見て、いかにもひもじそうだったので、ひろったいくばくかの クリのみを分けてあげました。

「ああ、おいしい。おいしい。おまえたちは やさしいね」
そうにこやかに言いながら、クリをたべる弘法大師さま。
子どもたちも よいことをしたと、まんぞくそうです。

栗の実

クリのみを たべおわった弘法大師さまは、子どもたちのほうに向きなおり、
「こんな大きな木だと、クリのみを とるのにも くろうするじゃろうに」
そう言って立ち上がり、もっていた「つえ」でクリの木のみきを コンコンとかるくたたきました。

するとどうでしょう。
くびがいたくなるほど 見上げてもまだ足りないくらい高かった大きな大きなクリの木が、しゅるるるるとしぼんで、子どものせたけくらいの高さにちぢんだのです。

「これでよい」
弘法大師さまは まんぞくそうなかおで さっていきました。

そのごも クリの木は大きくなることがなく、けれどもびっくりするくらいのたくさん「み」をまい年つけるようになりました。
このクリの木を村の人たちは「こうぼうくり」とよんで、たいせつにしたそうな。